top of page
チャプターTOP

パイプ

2

 完璧な形でぼくを待つパイプを見て、かつて社会科の教師がいった言葉をぼくは思いだした。棍棒を最初に使った人間は、その部族でいちばん強い者ではなかった、いちばん賢い者でもなかった、強者も賢者も棍棒を必要としなかった、弱さを克服して生き延びるために、棍棒を必要とした者が使った、と。ぼく以上に、この世から消えたい、と望んでいる人間はこの世にはいないと思う。だから、ぼくはパイプをつくりだした。ぼくであって、工場を任されている工科大学出の天才技師ではない。
 パイプの向こう側で何が待ちかまえているかわからないまま、ぼくはパイプにもぐり込んで這い出した。もしかしたら、耳のない子どもたちがビー玉の山にすわっているかもしれない。ひょっとしたら。パイプのある部分を過ぎたあたりで、いったいなにが起きたのか、わからない。わかっているのは、いま、ここにいるということだ。
 いま、ぼくは天使、つまり羽があって、頭の上には輪っかがあるんだと思う。それに、ここにはぼくみたいなのが何百人といる。ここにきたとき、その人たちは座りこんで、数週間前にぼくがパイプに転がし入れたビー玉で遊んでいた。
 いつもぼくは、天国というところはよい人生を送った人たちを受け入れる場所だと思っていたが、そうじゃなかった。神は、そう決断するにはあまりに情けぶかく、憐れみぶかかった。天国はまさに地上ではしあわせになれなかった人たちの場所だった。みんなの話によると、自殺した人たちはもう一度人生をやり直しに、地上にまた戻っていくそうだ。というのも、1回目の人生に満足しなかったとしても、2回目もうまくいかないというわけではないから。だけど、人生とほんとに折り合いがつかなかった人たちは、ここに来る道を見つけてやってくる、それぞれに、天国への道がある。
 ここにはバーミューダ・トライアングルのある地点でループして到着したパイロットがいる。食器棚の裏側を抜けてここに来た主婦たちがいるし、宇宙に位相的な歪みを見つけて、そこに身をねじりこんで来た数学者たちがいる。だから、君が下界でほんとにしあわせじゃなくて、君には認知上の深刻な問題があるといわれたら、ここに来る方法を探すといい。道を見つけたら、カードをついでに持ってきてくれないか、もうビー玉には飽きあきしたから。*

Tzinorot(Pipelines), from “Tzinorot(Pipelines)” by Etgar Keret, Zmora-Bitan, 1992/2002
邦訳版は『クネレルのサマーキャンプ』母袋夏生訳(ヘブライ語から)河出書房新社、2018年

PAGE

bottom of page